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「怨みは怨みによっては決して静まらないだろう」ブッダの言葉 [新聞、書籍より]

昨日の中日新聞夕刊に載っていた記事に感動した。
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それは先日のパリ同時多発テロで愛妻を殺された仏ラジオのジャーナリスト、アントワンヌ・レリス氏の手記が紹介されていた。
愛する家族をテロリストによって奪われた悲しみや怒りそして憎しみといった感情は、当然それはテロリストたちやその母体である集団に向けられて当然かと思いますが、レリス氏はテロリストたちに対して「私は決して、君たちに憎しみという贈り物を贈らない。」と宣言しています。
また、レリス氏は仏ラジオに「私は息子に憎しみや暴力、恨みを抱えたまま育ってほしくない。彼に立ち上がる武器を与えたい。銃ではなく、紙やペン、そして音楽という武器を」と語っているそうです。
以下、レリス氏の文章の全訳文です。

「君たちに憎しみを与えない」

 金曜日の夜、君たちはかけがえのない人の命を奪い去った。私の最愛の妻、そして息子の母を。でも、私は君たちに憎しみを与えない。君たちが誰かも知らないし、知りたくもない。君たちは死んだ魂だ。君たちは神の名で無分別に殺りくを行った。もし、その神がわれわれ人間を自らの姿に似せてつくったのだとしたら、妻の体に撃ち込まれた一つ一つの弾丸が、神の心に撃ち込まれていることだろう。

 だから、私は決して、君たちに憎しみという贈り物を贈らない。君たちはそれを望むだろうが、怒りで応えることは、君たちと同じ無知に屈することになってしまう。君たちは、私が恐怖し、周囲の人を疑いのまなざしで見つめ、安全のために自由を犠牲にすることを望んだ。だが、君たちの負けだ。私はまだ、私のままだ。
 今朝、(亡きがらの)妻に対面した。幾晩も幾日も待ち続けた末に。彼女は金曜日の夜に会った時と変わらず美しく、そして、恋に落ちた12年以上前と同様に美しかった。もちろん、私は悲しみにうちひしがれている。だから、君たちのわずかな勝利を認めよう。でも、それは長くは続かない。彼女は、いつも私たちと一緒に歩む。そして、君たちが決して行き着くことができない天国の高みで、私たちは再び出会うだろう。

 私と息子は2人になった。でも私たちは世界のいかなる軍隊よりも強いんだ。私が君たちに費やす時間はもうない。昼寝から目覚めた(息子の)メルビルと会わなくてはならない。彼は毎日、おやつを食べ、私たちはいつものように遊ぶ。この幼い子の人生が幸せで、自由であることが君たちを辱めるだろう。君たちは彼の憎しみを受け取ることは決してないのだから。

EDO [新聞、書籍より]

九州の川内原発一号機を再稼働させたというニュース

現地では歓迎する人、反対する人とそれぞれいるという。

私は反対しているので残念でならない。

地震にも、火山に対しても、安全であるという。

確かに安全は配慮され、実際に大地震に襲われても、火山が噴火しても、地殻変動が起きても、その原子力発電所は放射能漏れなど起こさないかもしれない。

だからといって、再稼働させることは間違いであると思う。

それは放射性廃棄物の処理、処分の方法が無く、蓄積するばかりなのだから。

未来にとんでもない遺産をのこすことになる。

尻拭いを後の世の人に押し付けて、自分だけはこの世を謳歌して「ハイ、サヨーナラ」ではあまりに情けない。

日本という国がこれほど恐ろしい国だったと、認めたくはないが事実そうなのである。

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「穢土(えど)」とこの世の事を呼ぶ言葉があります。「ケガレタ世界」という意味ですが、今の日本を表すにふさわしいですね。

原発も、沖縄の基地問題も、戦争法案も、ごり押しで進められようとしています。

そこに人間の心や、いのちを見つめるまなざしは一切見られません。

東日本大震災の後、日本は変わると感じた時もあった。でも今はその真反対に向かって突進しているようです。

私は日本の今を「穢土時代」と名付けたい。

増悪に負けない [新聞、書籍より]

先日アメリカ、サウスカロライナ州チャールストンの黒人教会で起きた銃乱射事件のその後です。
これは白人男性である容疑者が黒人に対する差別心が引き起こしたヘイトクライム(憎悪犯罪)と報道されています。つまり「黒人である」ということが理由で、無関係な人が無差別にいのちを奪われたということです。
犠牲となられた9名の方とそのご家族、友人の方々の悲しみはいかばかりかとお察しします。そして加害者に対しての怒りや憎しみも想像すらできないほどかと思うのですが、20日の新聞にこのような記事が載りました。


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遺族「憎悪に負けない」

アメリカの裁判制度のことはよくわからないのですが、容疑者に対する刑事手続きの中で、被害者の家族がモニター画面を通じて直接、容疑者に語りかけることができるらしいのです。
被害者家族はその悲しみや怒り、憎しみを訴えるものだろうと思いきや、その語られた内容に驚きました。

「あなたは私の英雄だった息子を撃ち殺した。体中の細胞を傷つけられたが、私は神があなたを守ってくれるよう祈っている」と涙を流したのは、事件で亡くなった26歳の息子の母親。

また、おじいさんを殺された孫娘は「祖父は憎しみの犠牲になった。それでもあなたの魂のために祈るのは、祖父たちがこの世に生きたことの証しになるからだ。憎悪には負けない」と語っている。

どうしてこれほどの寛容な心を持ち保つことができるのだろう。もし私が自分の妻や子を理不尽に殺害されたとしたら、私は憎悪に燃え、復讐の鬼と化すにちがいないと思う。

釈尊の言葉を頂戴しよう。
「実にこの世においては、およそ怨みに報いるに怨みを以てせば、ついに怨みの息むことがない。堪え忍ぶことによって、怨みは息む。これは永遠の真理である」(中村元訳『ブッダの真理のことば感興のことば』より)

信仰を持つことがその人の人生をより豊かにするものであるとするならば、このチャールストンの遺族たちの姿に私は「豊かになること」の意味を教えられます。

日本では凶悪な事件が起こるたびに刑罰の厳罰化が叫ばれ、死刑制度の賛否に及んでは、必ず「被害者遺族の心情を汲む」ためにも死刑制度は必要である論理は展開されるが、遺族の心情が果たして十分に量られたのかという事と、遺族の願いに「加害者の魂を祈る」というものも含まれていることを忘れてはならない。


お寺のはたらき [新聞、書籍より]

今朝の中日新聞に素敵な話が載っていた。
-職場発 泣き笑い-というコーナーにて「妻の後押し 転職決意」というもの。

これは証券会社に勤めるカズさんが40歳を前にして地元大手スーパーへの転職をするにいたった経緯を語ったもの。
証券会社に勤めている限り転職はつきもの。生まれ故郷の愛知県での暮らしを選んだカズさんは、誘いのあった地元スーパーへの転職を考えました。妻に相談すると休日も給料も減るにも関わらず賛成してくれたそうです。
そこで即決心するかと思いきや、カズさんはひとり名古屋市中区にある東別院の本堂に上がり、一時間に亘り考え抜いて決意を固められたそうです。

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このカズさんは最後の決心するにあたり、仏さまである阿弥陀様にご相談されたのでしょうね。カズさんにとって阿弥陀様や、ここ東別院という場が親しみとお敬いの気持ちを抱かせるのでしょう。
カズさんが最後に抱かれた決意とは、「仏さまにお願いしたから今後うまく行くだろう」ではなく「この先、どれほどの苦労や困難が待ち受けていようとも、私はこの転職を決して後悔はしない」というものだったに違いないと私は想像します。

親鸞聖人が20年間修行を続けて来れられた比叡山を下りようか(修行を止める)どうしようかと悩まれた時、聖人は京都市井にある六角堂に籠り観音菩薩さまにご相談されるのですが、先のカズさんの別院に籠ったことも似ているなあと思った次第です。

お寺の本堂に入ると、何となく気持ちが静まるように感じませんか?
昼間はやや薄暗く感じ、足元はタタミ、内陣の荘厳も深い精神性を表しておりますし、何よりも阿弥陀如来が私たちを見守っていてくださいます。
本当に大事な事は仏様にご相談されると良いですよ。

母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。 [新聞、書籍より]

本堂本棚にニューカマー登場

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『母を亡くした時、僕は遺骨を食べたいと思った。』
宮川さとし著 新潮社


出版社の宣伝コピーより
「最愛の母のがん告知、闘病、葬儀。そして死後も淡々と続いていく日常で作者が発見したこと。現実と真摯に向き合う過程で見えてきた”母の死”の意味とは―
どこか勝手の違う”母のいない世界の違和感”を新鋭が紡ぎだす自伝エッセイ漫画」

この本(マンガ)は私が昨年お世話になったグリーフケアの講師が推薦一押していたので、どんなものだろうと買ってみました。
30分ほどで一気に読んでしまいました。母親と息子の自分という関係から、婚約者、父親、兄、親戚という人間関係まで見事に捉え表現されています。作者自身の内心の観察などまるで詩人か小説家のように恐ろしいほどに冷徹に細やかになされています。

これは葬儀に関わるあらゆる人たち、もちろんその筆頭として僧侶である者は是非これを読んで欲しい。孫もいるようなひとりの人間がガンに患い亡くなってゆく、今では極々ありふれた亡くなり方ですが、その故人もどのような思いを抱えて死んで往かなくてはならなかったのか、そのご家族もどのようなかかわりを経て遂に別れる時を迎えられたのか、そうしたことへ思いを馳せることが疎かになってはいなかったかと自戒の念を抱くことになるに違いありません。
このマンガにはそうしたリアリティと作者の深い思慮が織り込まれています。

まずは一読をお勧めします。本堂で30分。ちょっと泣いてしまうかもしれません。
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