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この週末は高田本山へ [高田本山]

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高田本山では只今、報恩講(お七夜)が勤まっています(16日お昼まで)
12日、13日と行って参りました。平日ではあれどなかなかの人出でしたよ。
門前の露天商もいくつも並んでいましたし、週末には人出も露店も増えることでしょう。

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もちろん法要が大切です。若い僧侶の姿も増え、世代交代を感じます。
境内の案内も様々に工夫を凝らしています。
その一つが日に二回、御堂裏手の庭園(安楽庵)の見学ツアーの実施、そして宝物館には親鸞聖人直筆のお手紙などが展示されていて、素晴らしいです。
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宝物館は宗務院裏を突き当りまで入ったところにあります。入場無料ですのでお気軽に足を運んでください。

週末は天候がかなり厳しくなるとのこと、お車で遠方より駆け付ける方は雪などにご注意のこと。

教学院研究発表大会2016 [高田本山]

先日、高田本山にて「教学院研究発表大会」が開催されました。
これは私も所属しております。真宗高田派教学院の各部会から一名ずつが登壇し、それぞれの分野での研究内容を20分間で発表するというものです。

当日、登壇された方をご報告申し上げます。
第一部会・金信昌樹氏・「回心をめぐって」
第二部会・白井融光氏・「今の心」
第三部会・鷲山了悟氏・「金子みすゞ「私と小鳥と鈴と」考」
第四部会・清水谷正尊氏・「愚禿鈔の成立について」

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こちらは清水谷正尊氏の発表風景です。発表時間は20分と短いので、語られる内容には限りがあります。しかし会場で配られる各研究員の参考資料がそれを補い余りあるものばかりで有難いです。

午後は(三重県地域文化財総合活性化事業)として高田短期大学学長・栗原廣海氏の講演がございました。講題は「『観無量寿経疏』と親鸞聖人」
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研究者というのは凄いなあと感心する一日でした。それは研究者はきちんと原典に訪ね、他研究者の説を比較し、可能な限りの論考を積み重ね、そこから可能性のあるものとして、自分の見解、推論を述べるという日頃の研鑽があってこそ可能なことと教えられました。
私など一冊ある方の書籍を読めば、もうそのまま鵜呑みにして、これで分かったかのようなつもりとなってしまうばかりです。

法話の鍛錬 [高田本山]

少し日が経って過ぎてしましましたが、9月27日に高田本山にて法話布教の研修会「布教伝道研修講座」が催されました。会場は今回は特別に高田会館ホールです。参加は僧侶でなくとも可能です。一般の方もたくさんお越しくださいました。
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(この会場、明るいしおしゃれな雰囲気なのですが、音響が弱点。声がこもってしまって聞き取りにくい。改善を望むところ)


 さて、この研修は若手僧侶が15分間の法話を考え、実際に大勢の人の前で話すというものです。こうした実演研修が年に3回、そしてベテランの法話大会が1回あります。
 今回の実演は長松真見氏と島義恵氏でした。長松氏は自分の弟のように可愛がっていた愛犬の死を通して感じとったいのちを「あたたかい」という身近で新鮮な言葉でもって表現されました。
 島氏は祖父との思い出とともに、振り返れば祖父の願いの中を生きてきた自分であったと気づかされ、そこから本願のはたらきを感じると語ってくれました。
 総括を講師の本願寺派布教使・花岡静人先生よりいただきました。真宗の法話は世間一般や仏教一般とは一線を画すところにその醍醐味があるとして、決して「わかりやすさ」を求めるあまり本質を見失わないようにとのご指摘をいただきました。
 そして今回初めての試みとして会場でアンケートを実施したところ、両実演者や当講座への感想や意見などを多数頂戴することができました。今後の講座運営の参考や各出演者への励みになることと思います。
 次回以降の講座の予定です。11月29日(火)・来年2月7日(火)ともに午後1時30分より。


天岸浄圓先生に惹きつけられた。 [高田本山]

先日は高田本山で今年度第一回目の布教伝道研修講座が開催されました。
高田本山の会議室を会場に天岸浄圓先生のお話を聞くという講座です。真面目なそして地味な催しですが満席となったのです。それは前日の新聞に小さいながら案内文が載ったこともあり、そしてなにより「天岸浄圓先生」のネームバリューでしょう。普段よりも多くの人が、そして普段とは違う顔ぶれが集われました。
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さていよいよ天岸先生のお話が始まりました。
「「至心信楽」というは、「至心」は真実と申すなり。真実と申すは如来の御ちかいの真実なるを至心と申すなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし。清浄の心なし。濁悪邪見のゆえなり。・・・」(尊号真像銘文)
一文字一文字確かめるように、ゆっくりと、はっきりとご讃題を上げられます。
これは親鸞聖人の書かれた言葉一つ一つが阿弥陀仏のお心を表されたものであり、それを私の心で分かったとしてしまうと、それは私の心が作った阿弥陀仏にしてしまうことでありますと、自己の学びに対する厳しい姿勢でいらっしゃるからでした。

「至心(ししん)」とは真実であり、清浄な心である。それは私が不実であり、不浄なものであるということです。つまり至心とは「まこと」ということです。「まこ」とではないこの私に「まことをまことと受け取りなさい」との阿弥陀仏の心なのです。
このそのままに受け取るということが「信楽(しんぎょう)」であり。信楽を賜って、ようやく聞法の下地が出来上がったということなのです。
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念仏するということも、なぜするのか?どういう意味があるのか?どう称えたらいいのか?など人間が判断することが邪魔だという。
「なぜ、念仏するのか?」
「阿弥陀様が念仏せよとおっしゃるから」これ以上の理由も理屈もないというのです。
パカーンと頭を張ったかれたように感じました。天岸先生スゴイ。ありがとうございます。
もっと聞きたい、もっと聞きたい。会場の誰もが思っていたと思います。

あくる日、私のもとに一本の電話がありました。

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いざ、関東へ [高田本山]

昨日は東京へ出張でした。それも東京でお説教というめったにない機会。
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私たち高田派の関東別院です。
新幹線で品川へ、そこから京急線で南下、鎌田で乗り換え「六郷土手」で下車。歩いてすぐのところ。
多摩川のすぐそばで下町の風情を感じます。

この日は「永代経法会」ということでたくさんの方がお参りに来られていました。
境内の奥に墓地がたくさんあるので、いわば別院の檀家さんということでしょう。でもこの別院にはもうひとつ、こんなところもあるのです。
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大きな石に「南無阿弥陀仏」と刻まれた碑の前に、30㎝×30㎝ほどの平たい石がびっしりと並んでいます。
この一つ一つがお墓なのです。土地の貴重な都会では墓地を構えるのも大変なことのようですが、少しでも多くの方に墓地をという思いで設けられたのが、この画割墓地です。この新しい試みはテレビにも取り上げられ話題となったようです。
法要も、その後の法話も本堂は満堂となり、真摯な思いで座っていらっしゃるように感じました。これはここ別院の職員らの熱意によるものでもあるのでしょう。


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