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いきとしいくるものすべて [仏・法・僧]

昨日は二月の月例法話会でした。朝はまだ寒い中、皆さんお参りくださいました。
今月の法語です。
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いきとしいくる ものすべて このみひかりの うちにあり

和訳正信偈の一節です。もととなる正信偈では「一切群生蒙光照 」( 一切の群生、光照を蒙る。)というところですね。

群生:グンセイと読まずにグンジョウと発音します。辞書にも法語の通りに「生きとし生きるもの」とあるように、人間も含めいのちいただきこの世に存在するものすべてを指します。
群生と似た言葉に「衆生」とか「有情」というものもあります。どちらも迷いの世界に苦しむものたちという意味を持っています。

今月の法語はこの生きとし生きるものは誰彼分け隔てなく仏様の光を蒙っているということを讃嘆しています。
優劣や貴賤といった差別のないいのちをいただいたよろこびを謳っているといってもよいでしょう。
子どもの頃、よく学校で歌った懐かしい歌を思い出します。

「手のひらを太陽に」 やなせたかし詩 いずみたく曲
ぼくらはみんな 生きている 
生きているから 歌うんだ
ぼくらはみんな 生きている 
生きているから かなしいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば 
まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお)
ミミズだって オケラだって  アメンボだって
みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ

さて、正信偈をもう少し読み進めると「群生」が再び出てきます。
五濁悪時群生海
私たちは五濁という濁りの中に浮き沈みするものであるという意味であります。
五濁とは劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁という五つの濁りのこと。
そのひとつ劫濁は時代の濁りという意味です。私も21世紀という時代の濁りの中にあるということです。
先日の中日新聞夕刊に小学校6年生の女の子が野良猫の殺処分されている現実に心を痛め書いた作文がインターネットで評判となり、いのちの大切さを訴える事業がライター、カメラマン、デザイナーによって始まったと紹介されていました。
少女は近所の野良猫が産んだかわいい子ネコたちが保健所に連れて行かれてしまったことをきっかけに、犬や猫がどれほどたくさん殺処分されているのか、その費用は一匹あたりに換算すると、たった78円ということに衝撃を受けた。少女は猫たちを可愛がるだけでいけないことなどに悩んでいることを作文に書いた。

仏さまの光のもと、いのちいただいたよろこびに歓喜する一方で、他のいのちを奪うばかりか一顧だにせず抹殺しているのも私たちであります。
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