組の報恩講 [されど習わし]
今朝、本堂で「組の報恩講」が勤まりました。
文類偈と三重念仏を勤め、報恩講御書をいただきます。
「組(くみ)」とは地域の数軒単位の集まりです。正太寺にはいくつかの組があり、それぞれに報恩講が勤められます。
最近は人の集まる機会を設けることが難しくなっているのか、組の報恩講が減ってきています。
昔は当番の家に近所のお同行が子どもからお年寄りまでが集まり、お勤めに続いてお酒と食事が振る舞われたものです。今でもそうした「お日待ち」を行っているところがあり貴重な存在となっています。
他のお寺では各家庭ごとに「家の報恩講」が勤まり、一か月にわたり百軒、二百軒といったお家を廻られると聞きました。昔は日本中の門徒の家ではそうした報恩講が勤まり、組でも勤まり、各お寺で勤まり、本山の報恩講・お七夜に皆でお参りされていたのでしょう。
「報恩講」のもともとの意味は親鸞聖人よりいただいた「ご恩」に「報いる」がための人々の「講(あつまり)」ということです。聖人の説かれたお念仏のみ教えを恩といただく慶びを、多くの人と確かめ味わいたいものです。
文類偈と三重念仏を勤め、報恩講御書をいただきます。
「組(くみ)」とは地域の数軒単位の集まりです。正太寺にはいくつかの組があり、それぞれに報恩講が勤められます。
最近は人の集まる機会を設けることが難しくなっているのか、組の報恩講が減ってきています。
昔は当番の家に近所のお同行が子どもからお年寄りまでが集まり、お勤めに続いてお酒と食事が振る舞われたものです。今でもそうした「お日待ち」を行っているところがあり貴重な存在となっています。
他のお寺では各家庭ごとに「家の報恩講」が勤まり、一か月にわたり百軒、二百軒といったお家を廻られると聞きました。昔は日本中の門徒の家ではそうした報恩講が勤まり、組でも勤まり、各お寺で勤まり、本山の報恩講・お七夜に皆でお参りされていたのでしょう。
「報恩講」のもともとの意味は親鸞聖人よりいただいた「ご恩」に「報いる」がための人々の「講(あつまり)」ということです。聖人の説かれたお念仏のみ教えを恩といただく慶びを、多くの人と確かめ味わいたいものです。
2010-12-12 14:43
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