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辛苦とともに [されど習わし]

先日、名古屋東別院にて『僧侶のためのグリーフケア連続講座IN名古屋』という研修会に参加してきました。
文字通り全五回に亘るもので、僧侶として悲しみの中にある方と、いかに向き合い、いかに寄り添うことができるのか、といったことを学んでゆこうと思います。
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こちらが講師の「てるみん」こと尾角光美(おかくてるみ)さんです。

簡単にてるみんのご紹介
1983年大阪生まれ。2003年、19歳で母を自殺で亡くす。翌年から、あしなが育英会で病気、災害、テロ等による遺児たちのグリーフケアに携わる。2006年より、自殺予防や遺族のケアに関して、全国の自治体、学校、寺院などで、講演や研修をおこなっている。   (著書『なくしたものとつながる生き方』より)

グリーフケア連続講座02.jpg
これは参加者が四つの班に分かれ、子を亡くした親に対して、親を亡くした子に対してなど仮定の状況下でケアすべきと考えられる事柄を話し合い、それぞれ発表していることろです。

ケアには傾聴など心のケアだけではなく、社会的フォローや就学、就業支援なども含まれます。お寺の使命として葬儀を篤く厳かに勤めるのは勿論、そこに留まらず、様々な人々と連携しながら、人格全体をサポートしてゆく歩みを始めなくてはいけないと感じております。

通夜法話・厳かに去りゆく人へ [されど習わし]

昨晩はお通夜が勤まりました。故人は大正生まれのご婦人、二年前にご主人を看取られ、その三回忌もつい数か月前に勤められたばかりであります。
ほんの数日の入院でもってお亡くなりになられました。
長寿を全うされてご生涯を終えられてゆく方に対して、どのような思いを向ければよいのか常々思案しつつも、きっちりと押さえをもった思いに至ることがありませんでした。
それが昨日はご尊顔を拝し、微笑む遺影と向き合いながらの勤行をしておりましたら、今までには感じなかったお送りする思いが湧いてまいりました。
勤行に続いてご遺族、聴聞者の席へ向き直り短いお話をさせていただきました。
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「Hさんがお亡くなりになられました。Hさんと同じ年に生まれた方にはどんな人がいるだろうかと調べてみますと、三島由紀夫、梅原猛、林家三平(初代)などのお名前を見つけました。長生きされた事と共に生きて来られた時代というものをわずかでも感じさせていただきました。
その昔、聖徳太子は大阪の地に四天王寺を建立し、真西に向いた門を作られ、そこから西の空に沈みゆく夕陽を拝みながら、西方極楽浄土に思いを馳せられたように、今私たちはHさんが静かに静かにこの世を去らんとするその後姿に手を合わせ、その向こうに阿弥陀様のお浄土を偲ばせていただくご縁を頂戴しました。Hさんとの思い出をそれぞれ皆さんお持ちの事と存じます。どうかその思い出を尊い仏縁と思い、大切にしていただきたい。」
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凡そこのような内容でお聞きいただいたことでした。ご遺族の中の30代と思しき若い方が頷き頷き聞いてくださっていたことが、私にとってのありがたい確かめと受け止めさせていただきました。
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散華(さんげ) [されど習わし]

本日、本山の「秋法会」に行って参りました。
楽人が雅楽を演奏し、勤行の始めには「散華」がなされる荘厳な法要です。
その「散華」について
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内陣に上がった僧侶が手に「華籠(けろう)」という皿状のものを持ち立ち上がります。
中には紙で作った花びら(ハスの花びらの形をしています)が入っています。
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厳密には三本の飾り紐は朱色一色が正式。悪しからず

『四奉請(しぶじょう)』という偈文(節のついた漢詩のようなもの)を唱えます。

(奉請十方如来 入道場 散華楽・・・)
(請い奉る 十方の如来よ 道場に入りたまえ 花びらを散じます)
この文言が釈迦如来よ、弥陀如来よ、観音菩薩、勢至菩薩よ、諸大菩薩よとそれぞれに呼びかけられます。
つまり諸々の仏さま方を招き寄せるために、内陣を花びらで荘厳(飾りつけ、清める)する儀式というわけです。
本山の諸行事の中でもこの「散華」が行われることは余りありません。
ましてや各末寺では尚更、正太寺にはこの「華籠」さえありません。
「御遠忌」の時くらいは行いたいと思います。

作法について [されど習わし]

昨日は名古屋の街中にある「高田派名古屋別院」にて研修がありました。
研修内容は「高田の法式作法」についてです。
ご講師は高田派の勤行や法式についての取り締まり役のような立場「維那(いのう)」である
清水谷博祗(しみずたにはくし)師です。
清水谷博祗氏.JPG
終始にこやかに応対いただきました

僧侶というものはどの宗派であれ、衣や袈裟といったものに身についけていい者、いけない者、使用していい時、いけない時など様々な取り決めがされているものです。

僧侶には身分という階層が設けられ、その身分によって衣や袈裟の色が決められており、ひと目でその人の階級が分かるようになっているのです。
やがてそれまでの最上級の更にその上を新設するようなことが起こり、それは時代が経るほどに複雑化してきているようです。
(つまりこれは人間の虚栄心のあらわれかと私は思います)

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初盆会 ( 真宗のお盆・その四 ) [されど習わし]

今日の夜、七時よりこの夏、初盆を迎えられるご家族向けの法要が勤まりました。
例年よりも参加人数は少なめなものの皆さん真摯な面持ちで法要に参加され、厳粛な中でのお参りでした。

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