ひそかに愚案をめぐらして・・・・ [日記、時候]
先日、高田派教学院の研修旅行に参加し、奈良吉野へと行って参りました。
ここに立興寺という浄土真宗本願寺派のお寺があります。
道路から石段を登り山門をくぐりますと、目の前に本堂、その後ろには山が迫っています。
このお寺は唯円(ゆいえん)という僧侶によって創建されました。
唯円と聞いて「おやっ」と気付かれる方もいらっしゃることでしょう。あの親鸞聖人の語録をまとめた書物『歎異抄』の作者と云われています、あの唯円です。(こちらでは唯円大徳と称されています。)
唯円という方の出生などまだあきらかではなく、関東の生まれで聖人晩年に都に聖人を慕って来られたという説。そしてもうひとつ、親鸞聖人の娘・覚信尼の再婚相手・小野宮禅然の先妻の子であったという説。
そのどちらにしても、ここ立興寺が親鸞聖人の高弟・唯円の寺として伝わり、その後近代になって歎異抄が世間に知られその著者が唯円ではないかと云われるようになったそうです。
立興寺で住職の解説を聞く教学院一行。
唯円の墓参に参ります。本堂裏は岩がむき出した崖となっていて、その崖にわずかな幅の階段がつけられています。この日は雨がぽつぽつとしていて足を滑らせては大変です。
少し上るだけで本堂の屋根よりも高いところまで来ました。
唯円大徳のお墓です。
案内板も載せましょう。
唯円は正応二年二月六日に68歳で往生を遂げられています。
ここに立興寺という浄土真宗本願寺派のお寺があります。
道路から石段を登り山門をくぐりますと、目の前に本堂、その後ろには山が迫っています。
このお寺は唯円(ゆいえん)という僧侶によって創建されました。
唯円と聞いて「おやっ」と気付かれる方もいらっしゃることでしょう。あの親鸞聖人の語録をまとめた書物『歎異抄』の作者と云われています、あの唯円です。(こちらでは唯円大徳と称されています。)
唯円という方の出生などまだあきらかではなく、関東の生まれで聖人晩年に都に聖人を慕って来られたという説。そしてもうひとつ、親鸞聖人の娘・覚信尼の再婚相手・小野宮禅然の先妻の子であったという説。
そのどちらにしても、ここ立興寺が親鸞聖人の高弟・唯円の寺として伝わり、その後近代になって歎異抄が世間に知られその著者が唯円ではないかと云われるようになったそうです。
立興寺で住職の解説を聞く教学院一行。
唯円の墓参に参ります。本堂裏は岩がむき出した崖となっていて、その崖にわずかな幅の階段がつけられています。この日は雨がぽつぽつとしていて足を滑らせては大変です。
少し上るだけで本堂の屋根よりも高いところまで来ました。
唯円大徳のお墓です。
案内板も載せましょう。
唯円は正応二年二月六日に68歳で往生を遂げられています。
2016-05-01 10:09
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