2015-06-20
今日は三重県津市へ
目的地は高田本山ではなく、同じ高田派の潮音寺へ。
ここのご住職・村上英俊氏は未来の住職塾サンガのメンバーでもあります。
さてここ潮音寺で『自死者追弔法要と遺族の分かち合いの会』が開催されました。
集まったのはご家族を自死(自殺)で亡くされたご遺族の方々と、未来の住職塾で知り合った僧侶の有志たちです。
始めにお勤めがあり、参加者の皆様には焼香をしていただきます。
そして場を改めて「分かち合いの会」となりました。
この自死遺族の分かち合いの会というのは「自死遺族サポート ガーベラ会」という団体の活動の一部であります。
家族の一員がある日突然、自死という形で命を終えてゆく。それは周りの者を悲しませるだけではなく、自責の念や後悔といった思いに追い込み、二重三重の苦しみを生み出すことも多い。
何よりもご遺族が辛いであろうと思うことは、そうした辛さ、悲しみ、苦しさを誰にも話すことが出来ないということです。
今日もっとも強く印象に残ったのが、残された家族間でさえ、自死で亡くなったことに触れることができず、タブーのような状態のまま、何年も過ぎているということを聞かされたことでした。決して家族仲が悪いわけではありません、各々にとって悲しみが深く重すぎて、共有以前に自身が受け止めきれないままなのかもしれません。
また、たとえばひとりの男性が亡くなったとしても、その妻からしたら「夫の死」であり、その母からしたら「息子の死」、その子どもからしたら「父の死」という具合に、皆それぞれに受け止めようが違って当然ということもあるようです。
しかしこうした状況は特別なことではなく、自死遺族の家庭においてはよく見られることのようです。つまり自死遺族の方はじっとそうした悲しみや苦しみを抑え込んで暮らすことを強いられてしまっているのです。
そこでこのガーベラ会では、自死遺族の方同士でお互いの思いを話したり(もちろん黙っていてもいい)、人の話を聞いたりすることで、自分だけではなかったという安堵感や、言葉にして胸の内を排出できたことで心が軽くなったりできる場の提供をされています。
これが自死遺族をサポートすることであり、苦しみの連鎖を断つことに繋がるとして活動をされています。
「分かち合いの会」では安心して話ができるように、プライベートが安全に守られるために、ルールがさだめられており、分かち合いの前にみんなでそれを確認してから始まります。
集いを行うなかで、以下のルールをお守りください。
○ 参加者は、自死で大切な人を亡くした方がご参加下さい
○ 自分の事を話して下さい (苦しかった事、辛かった事、悩んでいる事、楽しかった事など)
○ 他の人が話をしている時は、最後まで聴いて下さい
○ お互いに話した事は、この場だけで、他では話さないで下さい (プライバシーを守りましょう)
○ お話を聴いているだけでも結構です、無理に話をしなくても構いません (パスのすることができます)
○ 他の人の批判、助言はしないで下さい
私がこのルールをここに紹介するのは、「分かち合いの会」を通して遺族方はそこに一縷の望みを見出していらっしゃるのですが、その数はまだまだほんの一部だそうです。
自死遺族の方がこうした場に足を運ぶまでには、大変な勇気や理解といった高いハードルが存在するからです。
そこでせめてこうした具合に安心で安全な場が用意されていることを、縁ある人に知っていただきたいからです。
最後にこのガーベラ会のホームページをご紹介します。
http://www.miegabera.jp/
目的地は高田本山ではなく、同じ高田派の潮音寺へ。
ここのご住職・村上英俊氏は未来の住職塾サンガのメンバーでもあります。
さてここ潮音寺で『自死者追弔法要と遺族の分かち合いの会』が開催されました。
集まったのはご家族を自死(自殺)で亡くされたご遺族の方々と、未来の住職塾で知り合った僧侶の有志たちです。
始めにお勤めがあり、参加者の皆様には焼香をしていただきます。
そして場を改めて「分かち合いの会」となりました。
この自死遺族の分かち合いの会というのは「自死遺族サポート ガーベラ会」という団体の活動の一部であります。
家族の一員がある日突然、自死という形で命を終えてゆく。それは周りの者を悲しませるだけではなく、自責の念や後悔といった思いに追い込み、二重三重の苦しみを生み出すことも多い。
何よりもご遺族が辛いであろうと思うことは、そうした辛さ、悲しみ、苦しさを誰にも話すことが出来ないということです。
今日もっとも強く印象に残ったのが、残された家族間でさえ、自死で亡くなったことに触れることができず、タブーのような状態のまま、何年も過ぎているということを聞かされたことでした。決して家族仲が悪いわけではありません、各々にとって悲しみが深く重すぎて、共有以前に自身が受け止めきれないままなのかもしれません。
また、たとえばひとりの男性が亡くなったとしても、その妻からしたら「夫の死」であり、その母からしたら「息子の死」、その子どもからしたら「父の死」という具合に、皆それぞれに受け止めようが違って当然ということもあるようです。
しかしこうした状況は特別なことではなく、自死遺族の家庭においてはよく見られることのようです。つまり自死遺族の方はじっとそうした悲しみや苦しみを抑え込んで暮らすことを強いられてしまっているのです。
そこでこのガーベラ会では、自死遺族の方同士でお互いの思いを話したり(もちろん黙っていてもいい)、人の話を聞いたりすることで、自分だけではなかったという安堵感や、言葉にして胸の内を排出できたことで心が軽くなったりできる場の提供をされています。
これが自死遺族をサポートすることであり、苦しみの連鎖を断つことに繋がるとして活動をされています。
「分かち合いの会」では安心して話ができるように、プライベートが安全に守られるために、ルールがさだめられており、分かち合いの前にみんなでそれを確認してから始まります。
集いを行うなかで、以下のルールをお守りください。
○ 参加者は、自死で大切な人を亡くした方がご参加下さい
○ 自分の事を話して下さい (苦しかった事、辛かった事、悩んでいる事、楽しかった事など)
○ 他の人が話をしている時は、最後まで聴いて下さい
○ お互いに話した事は、この場だけで、他では話さないで下さい (プライバシーを守りましょう)
○ お話を聴いているだけでも結構です、無理に話をしなくても構いません (パスのすることができます)
○ 他の人の批判、助言はしないで下さい
私がこのルールをここに紹介するのは、「分かち合いの会」を通して遺族方はそこに一縷の望みを見出していらっしゃるのですが、その数はまだまだほんの一部だそうです。
自死遺族の方がこうした場に足を運ぶまでには、大変な勇気や理解といった高いハードルが存在するからです。
そこでせめてこうした具合に安心で安全な場が用意されていることを、縁ある人に知っていただきたいからです。
最後にこのガーベラ会のホームページをご紹介します。
http://www.miegabera.jp/
2015-06-20 23:08
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