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暑さに負けず・・・仏教文化講座2016 [日記、時候]

8月31日・9月1日と二日間に亘り「平成28年度東海地区夏季仏教文化講座」が高田派名古屋別院で開催されました。

一日目の講師は森村森鳳師(もりむら しんほう)同朋大学准教授。
森鳳師は中国長春生まれの方。子どもの頃に文化大革命の嵐が吹き荒れ、友達の家に遊びに行っていたその時、紅衛兵が押し入り、友人の祖母は殴り殺され、祖父は鼻をそがれ、一家もろとも森鳳師も暴力を受けたという経験をされた。医師だった森鳳師の父親は日本人と親しかったという理由で職を奪われ、奴隷のような肉体労働と虐待の日々の中で心身ともにボロボロにされてゆく。
当然、森鳳一家も差別を受け、森鳳師は親を憎み呪った。文化大革命という差別と虐待を正当化する制度の中で、森鳳師は被害者であり、加害者でもあった。このことが後に親鸞に出あう遠因となっていった。
森鳳師は小説家野間宏の作品を漢訳して中国に紹介するということを通じて、野間宏氏と出会い、野間氏より親鸞を勧められ、やがて親鸞の主著『教行証文類』を中国語に翻訳するということを手掛けられた。野間氏の導きによって来日、今は日本に帰化されていらっしゃる。
森鳳師が抱えられた闇、自分は被害者でもあり加害者でもある。この私とは一体なになのか?
そこに光を照らしたのが正信偈であり、歎異抄だった。

「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人をころすこともあるべし」と、おおせのそうらいしは、われらが、こころのよきをばよしとおもい、あしきことをばあしとおもいて、願の不思議にてたすけたまうということをしらざることを、おおせのそうらいしなり。」

この歎異抄の言葉を礎として、自身のそして人間の闇を解き明かしてゆかれた。
漢文の話や満州国と日本、中国の歴史、文化大革命での経験、もっと深く聞いてみたいことがありすぎて、とても一日では足らなかったという感想です。

夏季仏教文化講座2016.jpg

二日目は小島惠昭師(こじま さとあき)同朋大学特任教授のお話しでした。
テーマは「仏教と福祉」
仏教の慈悲の心をもって、介護や看護、看取りといった現実とどのように向き合ったらよいのかということを聞いてまいりました。
鎌倉時代に叡尊(えいぞん)・忍性(にんしょう)という二人の僧があらわれた。彼らは「貧しい者、病んた者は文殊菩薩の生まれ変わりである」という経説に基づいて慈善救済事業を生涯にわたり続けられたという。同時期に親鸞聖人は「人間の起こす慈悲心は、限りがあり末通ることはない」と語っている。色々と考えさせてくれる内容でした。

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