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ピカソはピカソである。ピカソ以外のなにものでもない。 [日記、時候]

名古屋まで出かけ「ピカソ、天才の秘密」という展覧会を見てきました。
ピカソ展2016.jpg
2016年1月3日~3月21日 愛知県美術館


パブロ・ピカソは子どもの頃から大好きでした。代表的な力強い筆致や強烈な色彩によって、一種異様な人物や静物が描かれた作風を思い出す方も多い事でしょう。子どもが自由奔放に書きなぐったような絵を「ピカソのような絵」と皮肉られることさえあります。
ですが今回の展覧会はピカソがピカソになるまでの歩みを紹介しています。
美術教師の父親の影響で幼くして絵画の英才教育を受け、ピカソは10歳の頃からすでに大人顔負けのデッサン力(物の形を正確に画面に写し取る技術)を身につけてしまいます。
目の前に掛かった完璧な石膏デッサンや人物画と、その脇に表示されている制作当時のピカソの年齢とを交互に見てはため息が出てしまいます。あまりにも上手すぎる。ティーンエイジにして老練な表現力を発揮しているからです。
しかしこのままでは単なる天才少年で終わっていたでしょう。
少年ピカソは妹を病気で失い、「病」や「死」といった世界に意識を向けるようになります。青年となったピカソは親友に自殺で死なれ、その死を防ぐことができなかった後悔に苦しみます。
そうした彼の中の不安や恐怖、人の世の闇への怖れなどから「青の時代」と呼ばれる若きピカソの一ページをここで見ることができます。

やがてピカソはキュビズムといわれる、西洋絵画における一大革命を巻き起こします。
あの圧倒的な描写力も、繊細な抒情表現もその影を潜め、ピカソは一枚のキャンバスの中に「物の存在」を再構築せんとするそれまで誰も思いもしなかった絵画の世界に足を踏み入れてゆくのです。

ここにピカソの様々な顔をした作品が並び、どれが一体本当のピカソなのかと困惑するかもしれません。
しかしやはりピカソの絵はピカソにしか描けません。その一本の線でさえ、正にピカソの線としか言いようがありません。
それはピカソの作品ばかりを見ていては気付きにくかったことなのですが、美術館の別の企画展で飾られている油絵を前にした時に「あ、これは単なる絵だ」と感じ、ピカソの作品は同じくキャンバスに油絵の具を筆で描かれているのに、そこに現れたものは単なる絵ではなかったのではないかと思ったのです。

私は幼いころからピカソが好きで、ずっと憧れておりました。
それは「ピカソのような画家になりたい」と思っていたのですが、実は「ピカソのように描けるようなりたい」という思いだったのではなかったか。
この日、私はピカソと出会い、久しぶりに幼かった頃の私と出会ったような気分でした。

このピカソ展は普段アートなんて・・・美術なんて・・・と思っている方にも多分楽しんでいただけると思います。

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