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田原の東仙寺 [高田の寺々]

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昨日は田原の東仙寺へと出講でありました。ここの報恩講でお話させていただくのはもう25年も昔に遡ります。こちらの前住職・稲垣舜岳師は高田派を代表する学者でありました。その稲垣先生からお説教を頼むよとお願いされたのが30才に成るかならないかという頃。それから15年間毎年呼んでくださり、私の学びを促してくださったのです。
その稲垣先生が五年前に突然お亡くなりになり、私は先生を偲んで寺報に短い文を掲載しました。
ここにそれを転載します。今読み返してみて当時を懐かしく思い出しております。

「稲垣舜岳(いながきしゅんがく)先生御往生」 
 今年の本山お七夜十五日深夜、高田青少年会館に泊まっていらした稲垣舜岳先生が浴室で倒れられ、そのままお亡くなりになってしまわれました。正に諸行無常を身をもって示されたお姿でありました。ご存知のように稲垣先生にはこの正太寺に何度もご法話に来ていただきました。最後は確か私の住職拝命報告法会でのご法話だったと思います。伝えたいことが次々と頭に沸き起こるそのままにお話されようとする、いかにも学者タイプの方だったと思います。何より学ぶこと、確かめること、調べることに対して非常に真面目な方でした。
 私は稲垣先生に大変可愛がっていただき、先生の御自坊田原の東仙寺に十五年間毎年二日ずつ私に説教の機会を設けてくださいました。私は始めの内はそれまでに聞き貯めていた聴聞のノートを小出しにすることで乗り越えていましたが、貯めたものはすぐ終ってしまいます。「さあ、もう話すことが無い」という状態でしたが先生は許してくれません。「来年もお願いします」と呼び出されます。
 私は一年かけてせっせと本を読んだりラジオや新聞にネタを探したり、誠にお粗末な付け焼刃をそれでも仕方なく披露するしかありませんでした。先生はいつも皆さんの前に立って話をする私のすぐ左側に正座して聞いておられました。そして休憩時間などに座敷では質問をしてこられるのです。もう私などメロメロでありました。それでも「面白い」と褒めてくださることも多少あり、私のような宗門の学校を出ていない云わば亜流の者の発想を楽しんでいるようでもありました。ですから私もできるだけ奇抜な引用やヒット曲の詩などの紹介を用意して東仙寺に向かったものでした。
昨年の秋、ふいと先生から一枚の葉書が届きました。小さな字でびっしりと几帳面に書かれています。その内容は、先生が本屋で新井満氏の『自由訳・イマジン』という本を見つけ、早速買い求め読んでみたところその内容が大変興味深かったこと。この本に自分が関心を持ったのは、以前に私が東仙寺での法話の中でジョンレノンの『イマジン』という英語の詩を紹介したことがあり、それから『イマジン』に興味を持つようになったこと、そしてその縁の大切さをつくづく感じますということが丁寧に綴られていました。 
先生の学びに対する実直さと謙虚さを感じられる葉書であります。今となっては私への最後の教示でありました。この葉書は一生大切にしていきたい私の宝物とひとつとなりました。合掌
住職 悟道 
(ようこそようこそ 2010年 春号)より転載

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