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一楽真先生 [日記、時候]

昨日、雨天のもと、岐阜東別院へと出かけました。
別院は古い街並みに佇む大きな本堂を構えたお寺です。
こちらでは毎月20日の午後6:30より「仏教公開講座・生きるってどういうこと」を開催しておられます。
この度のご講師は大谷大学教授の一楽真先生でした。

一楽真師岐阜にて.jpg

一楽 真 (いちらく まこと)
1957年(昭和32年)石川県小松市生まれ。真宗大谷派宗円寺住職。

小松市のお寺の住職でありながら、京都で大学教授をされているというが、お寺のことはどうされているのだろうか。それはご両親ともご高齢でありながらいたって健康で、お寺のこと一切を任せていらっしゃるのだそうだ。
さて、先生の御法話です。
講題を「他力の信心」ということで、真宗の肝心要のお話でした。

まず「他力の信心」という言葉をどう読むのか、ということでこれを「他力による信心」という解釈で良いのではないかと押さえられます。
「他力」とは「仏さまの力」であり、人間である私の立場からすると「私の中からは出るはずのないものが出てきた」ということになるそうです。

親鸞聖人が生涯大切にされた法然上人のお言葉に「ただ念仏して 弥陀にたすけられまいらすべし」という一節があります。
この「たすけられまいらすべし」とは、この私は阿弥陀様に助けていただかなくては迷いの世界を超えることはできませんよという意味です。
そこには自身を教えてくれる智慧がはたらいています。それは自分で自分を整えること、律すること、認めることができないからです。
ですから調子の良い時は鼻高々で驕り高ぶり、具合が悪くなると途端に落ち込み自分を価値のないものと見なしてしまう、危うい私なのです。
そんな私たちを危なっかしくて見ていられないと慈悲の心で立ち上がられたのが阿弥陀さまです。
その阿弥陀様の心が「南無阿弥陀仏」となって私のところへと届いて下さっているのです。

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