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服部亮英展 [高田本山]

只今、高田本山では「高田派画伯 服部亮英展」が開催されています。

服部亮英展374.jpg
4/3~4/16まで 高田派宗務院2階 第三会議室 入場無料


服部亮英(はっとり りょうえい) 1887年ー1955年
三重県高田派寺院 慈教寺の長男として生まれる。
東京美術大学(現東京藝術大学)に入学。卒業後東京朝日新聞社に入社し、漫画に才腕を振るい『漫画の服部』として名声を博する。

チラシの右上の油画の肖像画は高田派第二十二世法主堯猷上人を描かれたもの。氏の代表作であります。
私が今回とても惹かれたのはこうした油画ではなく、淡々とした雰囲気を持つ日本画のほうです。

服部亮英展-2.jpg

例えばこちら「田植歌」とあります。これは親鸞聖人40代の頃、関東は栃木の地で布教されておられた時、聖人をしたう平太郎という若者に田植歌を教え、田植をしながらお念仏の御教えを広められたというエピソードを描いたもの。その時聖人は自ら衣の裾をまくりあげて皆と一緒に田植をされたと言い伝えが残されています。

『五劫思惟の苗代(なわしろ)に、兆載永劫の代(しろ)をして、
一念帰命の種おろし、自力雑行の草をとり、帰命尽十方無碍光如来、
念々相続の水流し、往生の秋になりぬれば、この実(み)とるこそ、うれしけれ』

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こちらが聖人が田植をされている情景。聖人に合わせて皆で歌う声が聞こえてくるようです。

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またこちらは聖人が35才の時越後に流罪に遭われ、その越後の雪国に於いて辛苦を尽くされた頃の様子です。
髪もひげも伸び放題だったり、眼光衰えぬところなど、重くなりがちなテーマながらどこかほのぼのとした絵となっています。

服部亮英展-4.jpg
この絵の題は『雲か煙か (震災絵巻)』とあります。見れば手前の男はゲートルを巻いた軍服姿。
どうやらこれは1944年12月7日の東南海地震(マグネチュード8.0)特に三重県が大きな被害を受けた震災を描いたものでしょう。するとこの男は亮英自身かと思われます。

本山の片隅で行われている地味な展覧会ですが、じっくりとご覧いただけたら何よりです。


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