幸せになる道 [掲示板法語]
目の前の幸せに気付いたら一生幸せ者!
これはどこかの本から抜き出した一節です。どなたの本だったのか記録しておかなかったのでわかりません。
さて、幸せになりたいとは誰もが抱く願いではないでしょうか。
求めるモノ、願う状況は人それぞれであれども、そうした願いの叶うことが幸せというものであると信じているのも又ほとんどの人の思いであります。
ところが願いが実現する、夢が叶うということはなかなかありません。つまり多くの人々は幸せではないと感じて生きていることとなります。
この法語を見てみましょう。「目の前の幸せに気付く」とありますが、皆さんの目の前に幸せは存在します か?
「何にもない」「つまらないものばかり」と思っているのではないでしょうか。
京都の竜安寺という石庭で有名なお寺がありますが、そこにもうひとつよく知られた見どころがございます。
蹲踞(つくばい)という石でできた水を受け、貯める屋外に置く鉢のようなものですがその意匠が大変な優れものなのです。
「真ん中の正方形は漢字の「口」をかたどっています。上から時計回りで(五と口で吾)、右の(隹と口で唯)という具合に吾・唯・足・知という四つの漢字がここに隠しているのです。
それを「(吾)われ、(唯)ただ、(足)たるを(知)しる」と読みます。
その意味とは、「知足の者は賎(いや)しとも雖(いえど)も富めり」「不知足の者は富めりと雖(いえど)も賎(いや)し」
つまり「知足の者」は「私はもう満足です」という心で暮らす者であり、その有り様が人から見たら貧しくとも、その者は富める者である。
そして「不知足の者」とは豊かな環境に暮らしていようとも、「まだまだ・・足りない」という思いでいたのならその者は貧しいということです。
「目の前の幸せに気付く」とはこの「知足の者」となることであります。
朝、目が覚めて「しあわせ」。ご飯が食べられて「しあわせ」。雨が降ってくれて「しあわせ」。歩くことができる足があって「しあわせ」・・・・・・。一瞬一瞬が「しあわせ」となれば、毎日、毎月、毎年がずっと「しあわせ」であります。
2014-12-04 06:00
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