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天岸浄圓師 吠える [日記、時候]

昨日は高田派東海地区仏教文化講座という研修が名古屋で開催されました。
本願寺派より天岸浄圓(あまぎし じょうえん)先生の講義があり、一日聴聞です。

天岸先生は静かな佇まいで、ゆっくりとお話を始められました。その話すテンポは変わらず、まるでメトロノームのように一定の速度で丁寧に聞き取りやすいようにと心掛けていらっしゃるのでしょう。

親鸞聖人のお手紙を資料としてその一字一句に細心の注意を払い、聖人のお心、行間に浮かぶ当時の様子などを語ってくださいます。そして話しが進むにつれ、先生に何かスイッチでも入ったかのように、口調が切り替わりました。
天岸先生259.jpg
「どないすんねん!」「知らんがな!」「あほか!」

皆一瞬「えっ」と驚きましたが、先生は弥陀のご本願に触れながらぼんやりしている私たちに活を入れんと、わざとそうした演出をされたのでは思います。
親鸞聖人の書かれたお聖教を真剣に読み込み、複雑な理論も明解に説きひらき、理論的な学者肌の人と思いきや、ご本願に感動され、聖人に思慕かぎりなく、わが身、わが心に苦悶される熱い熱い念仏者でありました。

「念仏往生」
このたった四文字の御教えが、一念・多念、自力・他力、平生・臨終・・・受け手によっていかようにも別れてゆくお念仏の教えをきっちりと押さえていただき、私の中の自己流念仏理解をあぶりだしてくださる尊い法縁でした。
先生は本願寺派の研修学校「行信教校」の講師も務められているとお聞きし、今からでも行信教校に入学したいとまで思いました。

こういう人に出あうことがあるので、聴聞はやめられませんねえ。

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