大切な人を亡くすということ・・・・・について [日記、時候]
昨日、本願寺名古屋別院にてグリーフケアについての講演を聞く機会がありました。
講師は桑名の本願寺善西寺住職・矢田俊量氏。(この人の経歴を見て驚いた。名古屋大学大学院で理学を学び、東京大学大学院で理学博士となり、米国ニュージャージー州立医科歯科大学で研究員をされるといういわば理科系のすごい人。そして今桑名の真宗寺院の住職をしていらっしゃる)
矢田俊量氏です。この佇まいはお寺さんそのものですが、その話しぶりからは学者としての雰囲気を感じました。口調も淡々としていながら、とても説得力のある検証に裏付けされた一言ひとことなのです。
講題は「グリーフケアの現場で僧侶がみつめつづけた 死別の悲嘆の”ものがたり”から」というものですが、まず最初にご自身が長く研究をされていた、肝臓再生のメカニズムの話から始まりました。肝臓という臓器はたとえ半分に切り取られても高い再生能力でもって短期間で元通りの大きさに復元するそうなのですが、その行程が本題である「グリーフワーク(悲嘆の仕事)」を経ることで、死別によってざっくりと傷を負った心が再生してゆく姿に重なるということを教えるための前振りだったのですね。
そのグリーフワーク行程とは
① 喪失の事実を受容する
② 悲嘆の苦痛を経験すること
③ 死者のいない環境に適応する
④ 死者を情緒的に再配置し、生活をつづける
というプロセスを経てゆくもの。
矢田氏は死別によって傷つかれた遺族の方にとって、どのような処方が適切なのであろうかと模索され、遺族による自助グループを設け、互いの胸の内を語り合い、悲しみ苦しみを共有することを始められました。
それまでには様々な試みがされたことと思います。宗教者が「傾聴」ということを実践しようと張り切ることが却って遺族を傷つけることになったこともあったようです。結局「体験した人でなければわかってもらえない」そして「わかるひとはわかるけど、わからんひとはわからん」ということに行き着いたようです。
矢田氏は地元三重県で、がん死別体験者によるわかちあいの会「おあしす」というものを立ち上げられました。そこでは大切な人をガンで亡くされた方が集まり(お互いには見も知らぬ同士)、語り合うという場が用意されます。
思い切って参加を決意され、重い腰を上げ、初めて会う人の前で自分の苦しみを吐露するという高い高いハードルを越えて、安心して参加していただくためのルールがそこには用意されています。
わかちあいの会に参加されるにあたってのお願いは以下の6項目
① ご参加は大切な人を亡くされた方のみ
② 会では、『私の場合は・・』というご自身のこととしてお話ください。
(楽しかったこと、苦しかったこと、つらかったこと)
③ この会を通じて知り得た内容は他の場所では話さないでください。
④ 他の方がお話をされているときは耳を傾け、さえぎったり、批判的な発言をするのはお控え下さい。
⑤ 話したくないときは、無理に話す必要はありません。
⑥ 宗教や政治活動、営業的な活動はご遠慮ください。
こうした活動を定期的に行うことで多くの人が次のステップへと進んでゆくことができるそうなのです。
詳しくはこちらをご覧ください〈三重県がん相談支援センター〉ホームページ
http://www.gansupport-mie.jp/event/1.html#003
私も死別されるその現場に身を置く者として、本当に遺族にとって必要とされる行いが出来ているのだろうかという自問が浮かび、それは答えの出ぬまま今に至っています。
ただ、そうした現場に臨んだ時には「今、目の前にいらっしゃるこの方の、悲しみや辛さを、私にはとうてい分かるということなど決してない」ということを腹に据えて、ご遺族の言葉に謙虚に耳を傾けていこうと思うだけであります。
講師は桑名の本願寺善西寺住職・矢田俊量氏。(この人の経歴を見て驚いた。名古屋大学大学院で理学を学び、東京大学大学院で理学博士となり、米国ニュージャージー州立医科歯科大学で研究員をされるといういわば理科系のすごい人。そして今桑名の真宗寺院の住職をしていらっしゃる)
矢田俊量氏です。この佇まいはお寺さんそのものですが、その話しぶりからは学者としての雰囲気を感じました。口調も淡々としていながら、とても説得力のある検証に裏付けされた一言ひとことなのです。
講題は「グリーフケアの現場で僧侶がみつめつづけた 死別の悲嘆の”ものがたり”から」というものですが、まず最初にご自身が長く研究をされていた、肝臓再生のメカニズムの話から始まりました。肝臓という臓器はたとえ半分に切り取られても高い再生能力でもって短期間で元通りの大きさに復元するそうなのですが、その行程が本題である「グリーフワーク(悲嘆の仕事)」を経ることで、死別によってざっくりと傷を負った心が再生してゆく姿に重なるということを教えるための前振りだったのですね。
そのグリーフワーク行程とは
① 喪失の事実を受容する
② 悲嘆の苦痛を経験すること
③ 死者のいない環境に適応する
④ 死者を情緒的に再配置し、生活をつづける
というプロセスを経てゆくもの。
矢田氏は死別によって傷つかれた遺族の方にとって、どのような処方が適切なのであろうかと模索され、遺族による自助グループを設け、互いの胸の内を語り合い、悲しみ苦しみを共有することを始められました。
それまでには様々な試みがされたことと思います。宗教者が「傾聴」ということを実践しようと張り切ることが却って遺族を傷つけることになったこともあったようです。結局「体験した人でなければわかってもらえない」そして「わかるひとはわかるけど、わからんひとはわからん」ということに行き着いたようです。
矢田氏は地元三重県で、がん死別体験者によるわかちあいの会「おあしす」というものを立ち上げられました。そこでは大切な人をガンで亡くされた方が集まり(お互いには見も知らぬ同士)、語り合うという場が用意されます。
思い切って参加を決意され、重い腰を上げ、初めて会う人の前で自分の苦しみを吐露するという高い高いハードルを越えて、安心して参加していただくためのルールがそこには用意されています。
わかちあいの会に参加されるにあたってのお願いは以下の6項目
① ご参加は大切な人を亡くされた方のみ
② 会では、『私の場合は・・』というご自身のこととしてお話ください。
(楽しかったこと、苦しかったこと、つらかったこと)
③ この会を通じて知り得た内容は他の場所では話さないでください。
④ 他の方がお話をされているときは耳を傾け、さえぎったり、批判的な発言をするのはお控え下さい。
⑤ 話したくないときは、無理に話す必要はありません。
⑥ 宗教や政治活動、営業的な活動はご遠慮ください。
こうした活動を定期的に行うことで多くの人が次のステップへと進んでゆくことができるそうなのです。
詳しくはこちらをご覧ください〈三重県がん相談支援センター〉ホームページ
http://www.gansupport-mie.jp/event/1.html#003
私も死別されるその現場に身を置く者として、本当に遺族にとって必要とされる行いが出来ているのだろうかという自問が浮かび、それは答えの出ぬまま今に至っています。
ただ、そうした現場に臨んだ時には「今、目の前にいらっしゃるこの方の、悲しみや辛さを、私にはとうてい分かるということなど決してない」ということを腹に据えて、ご遺族の言葉に謙虚に耳を傾けていこうと思うだけであります。
2014-07-03 11:05
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0