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聞くこと [仏・法・僧]

カレンダーの表紙というものは忘れられることが多い。
年末のわずかな数日間掛けられているだけで、新年と共に破り捨てられるか、裏へペラリとめくられてそれっきりとなってしまう。そしてこれが今年の法語カレンダーの表紙です。
称名とはみ名を聞くことであります106.jpg

称名とは み名を聞くことであります
足利淨圓


称名とは「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」とお念仏をとなえることです。
この「となえる」という時に使う漢字は「称える」と「唱える」と二つあります。
真宗以外の宗派ではお念仏を「唱える」と書くこともあるようですが、これは口に出して発声することを主眼とした表現です。つまりお念仏を声に出すことが目的ということです。よりたくさん、より大きな声で、より美しく、より心を籠めて・・・お念仏することをよしとする歩みが生まれます。

一方、法語にある「称える」には名称、対称というように「つりあう」という意味があります。天秤がつりあうのと同じく、我が身の罪悪の重さを知り、その罪を軽々とすくいあげる弥陀の本願の頼もしさを知ることが「称名」ということの内容であると思います。
その本願の心を「聞く」のです。

聞いて聞いて聞き続けることこそが、お念仏の歩みであります。

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コメント 1

孜(ニックネーム)

時々、読ませていただき有難うございます。我が家のお墓には、「等観三界空無所有」の銅板が埋め込まれています。最近、それを見ながら、前世、現世、来世ーと、渡り歩こうと、称名念仏しつつ、穏やかに暮らそうと思うようになりました。そう、思いつつも、喜怒哀楽に翻弄されやすい己ですが、称名念仏する時、ひと時でも、暗雲たなびく天候でも、雲間から、一条の光と青空を見たような、清々しい気持ちになる心地がします。これが、小生にとり、唯一、称名念仏の功徳でしょうか。今回のご投稿を読ませていただき、少し、書かせていただきました。
by 孜(ニックネーム) (2014-01-08 16:29) 

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