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永遠に「戦後」であれ [日記、時候]

昨日8月15日は終戦記念日
私はお盆の最終日ということで、正午の黙祷も忘れ法務に勤しんでおりました。

「戦後」という言葉があちこちで語られています。
「戦後」という言葉が来年も再来年も、ずっとずっとこの日本で語られ続けられることを願います。
「戦後」という言葉が消えてしまったら、それは戦争のない平和な世の中ではありません。
それは「戦前」と後の人が語ることなる時代になってしまったということです。

『日本国憲法』が現状のままでは、もし他国から我が国が攻撃されたら戦い守ることができないのではないかと心配されている方もいらっしゃるかもしれませんが、現行の憲法において「個別的自衛権」は認められていますから、十分に反撃できます。
ここの所はとても重要な知識だと思います。
政治家や一部のマスコミによって不安を煽り、憲法改正の必要性があるかのように思ってしまうことがあったなら、「個別的自衛権」を思い出してください。
憲法の改正は他国からの攻撃に関しては、改正する必要はないということを。

「戦争もやむなし」という思いこそが、戦争を始めさせるのだと思います。
永遠に「戦後」という言葉を大切にすることで、昨日の天皇の挨拶にもありました「深い反省」を心にとどめ、繰り返してはならないとの思いを絶やしてはいけません。
これは自分の生きている間は何事もなければそれでいい、というわけにはいきません。
もし戦争が起きてしまえば、今の私は「戦前の人」といわれ、消極的にしろ、積極的にしろ、戦争に加担した者といわれてしまうのですから。

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みやパパ

最近、母親と昔話をよくします。戦中、戦後の話も色々なあります。
豊橋空襲の火事に追われ牟呂用水に逃げて溺れかけ、家族とはぐれたこと。祖父が母を探して牟呂用水に浮いた死体を一つ一つ見てまわったこと。家が焼けて、祖父の実家のある田原に疎開したこと。米軍機の機銃掃射に追われたこと。祖母が、終戦後しばらくして亡くなり小さな弟、妹の世話をしたこと。そして、所々に登場する女性を説明する、このひとは、戦争で旦那さんをなくしてねえ。という言葉。
これから戦争があれば、戦争に行くのは私の息子、機銃掃射に追われるのは私の孫、未亡人になるのは私の娘。
これからも、ずっと戦後にしなければいけませんね。
by みやパパ (2016-08-17 15:54) 

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