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行き先がわかれば・・・ [仏・法・僧]

行き先がわかれば.jpg

行き先がわかれば 行き方がわかる 往き先がわかれば 生き方がわかる


この修正会の時にお話しさせていただいたことを簡略にご紹介します。
この法語、なんか語呂合わせのようで面白いのですが、内容はなかなか深いものだと思います。
年末にSNS(facebook)で見つけそのまま掲示板に書かせてもらいました。

「行き先」によってその準備や心構えが変わってくるものです。
山の頂上を「行き先」とするならば、靴や服装、そして体調も整えておかなくてはいけません。
海外を「行き先」とするならば、資金やスケジュール管理、そしてなによりもパスポートの用意は欠かせません。こうした準備も「行き方」のひとつであります。

さて、「往き先」とは、往生の往という字を用いているように、私のこの生涯を終えた後ということですね。自分はどこへ往こうと考えているのでしょう。
お浄土を目指そうなどという殊勝な思いは、この私には持ち合わせておりません。
それでも地獄に落ちたいと願う人もいないでしょう。

もし仮に地獄に落ちてみようと思う人がいたとしたら、地獄に落ちるためにはどのような生き様をすればよいか、案外想像がつくのではありませんか?
盗んだり、うそをついたり、傷つけたり、殺したり・・・。
あれあれ?
私たちの生活って、奪い合うながら生計を立て、おべんちゃらを言い合って世を渡り、批評批判を得意として他を傷つけ、ものを食うというのは他のいのちを殺すことであります。
地獄一直線の生活をしている私でありました。

親鸞聖人は地獄一定(じごくいちじょう)といって、自分は地獄行き間違いないと仰り、そんな私だからこそ阿弥陀様は必ず救うと誓ってくださったとお念仏を喜んでいらっしゃいます。

私の「往き先」が地獄とわかればこそ、お念仏をよろこぶ生き方がわかってくるものであります。

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