清澤満之を訪ねて [日記、時候]
先日、6月6日に碧南、西方寺へと行ってきました。ここ西方寺は清澤満之がいのち終えられた寺です。
清澤満之は明治36年6月6日に39歳という若さで亡くなっている。その生涯は短いものの、真宗の歴史の中ではかけがえのない大きな存在であります。清澤満之によって真宗の教えは明治の世に蘇ったといっても過言でありません。
その清澤満之の徳を偲んで毎年「浜風臘扇忌(ひんぷう ろうせんき)」という法要が行われております。その法要では無量寿経が勤まり、続いて和讃を皆で昭和するのですが、その和讃は親鸞聖人の作られたものではなく、清澤満之の弟子の暁烏 敏(あけがらす はや)が師を称えて詠んだもの。
「カピラバスツの釈迦牟尼は 三千年の後の世に 名古屋の街に生れまして 清澤満之と名乗らせり」
「いのちをかけてめでましし 宗門の腐敗を憂いられ 同志をさそい病押し 教界改革叫ばせり」
と続きます。全部で五十二首あるそうです。
臘扇忌には記念講演があります。この日の講師は児玉暁洋(こだま ぎょうよう)先生でした。
講題は清澤満之の書籍から引かれた「現世における最大幸福」というものでした。
以下、清澤満之の著書より
「~私の信ずる如来は、来世を待たず、現世に於いて既に大なる幸福を私に与えたまふ。私は他の事によりて多少の幸福を得られないことはない。けれども如何なる幸福も、此信念の幸福に勝るものはない。故に信念の幸福は、私の現世に於ける最大幸福である。此れは私が毎日毎夜に実験しつつある所の幸福である~」
私が解説などすると、誤ってしまうので、今日はこのままご案内いたします。
2016-06-07 22:41
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0