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ただよくつねにみ名となえ [仏・法・僧]

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ただよくつねにみ名となえ ふかきめぐみにこたえかし


六月となり第一日曜日は月例法話会でした。ここ東海地方も梅雨に入ったとのこと、今朝は正に梅雨の空といったショボショボ雨の天候でした。それでもお参りの方はいつになく多く、ありがたい限りです。

さて、今月も法語カレンダーをたずねて参りますが、これは正信偈ですと唯能常称如来号(ゆいのうじょうしょうにょらいごう) 応報大悲弘誓恩(おうほうだいひぐぜいおん)にあたります。

ここに「称」という漢字があります。これを「となえる」と読みます。
「となえる」という時にはこの「称」ともうひとつ「唱」とがありますが、真宗では「称」の字でもって、お念仏を称えると表記します。
これは親鸞聖人が深くこだわりを持ってみえたからです。一念多念文意という書物には「称」についてこのように書かれています。
「称」は御なをとなふるとなり、また称ははかりといふこころなり、はかりといふはもののほどを定むることなり。名号を称すること、十声・一声きくひと、疑ふこころ一念もなければ、実報土へうまるともうすこころなり。
「称」の字の旧字は「稱」ですが、これは手に天秤ばかりを提げている形を表しているそうです。
つまり私が「南無阿弥陀仏」と口に称えることが、仏様の願う心に釣り合っているということなのでしょう。なぜなら「南無阿弥陀仏」は言葉となられて、私のもとまでやってこられた仏様なのですから。
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