謹賀新年 [日記、時候]
昨日の元旦と今朝は朝8時から「修正会」が勤まりました。
両日とも天候に恵まれました。それでも冷え込みは十分ありましたので、皆さま白い息を吐きながらご参集くださいました。

内陣には私と二人の息子たち。
そして元旦は60人超のお参りの方々と正信偈をあげ、新年を厳かに迎えることができました。

門前の掲示板も新しく、「愚かにして愚かさを知る」であります。
私は人前では自分を謙遜して「愚かなわたし」と申しますが、人から「お前は愚かなやつだ」と言われればムッとするに違いありません。
謙遜はあくまで謙遜で、実際は愚かであるとは思っていないということでしょう。
「愚かにして」というところからして私には自覚できないことのようです。
そんな私を「愚か」と知らしめてくださるのは「真実」なるはたらきしかありません。
それは丁度、鏡を見なければ自分の姿が確認できないことと同じこと。
私を映してくれるのは仏法という鏡であります。
両日とも天候に恵まれました。それでも冷え込みは十分ありましたので、皆さま白い息を吐きながらご参集くださいました。

内陣には私と二人の息子たち。
そして元旦は60人超のお参りの方々と正信偈をあげ、新年を厳かに迎えることができました。

愚かにして愚かさを知る
門前の掲示板も新しく、「愚かにして愚かさを知る」であります。
私は人前では自分を謙遜して「愚かなわたし」と申しますが、人から「お前は愚かなやつだ」と言われればムッとするに違いありません。
謙遜はあくまで謙遜で、実際は愚かであるとは思っていないということでしょう。
「愚かにして」というところからして私には自覚できないことのようです。
そんな私を「愚か」と知らしめてくださるのは「真実」なるはたらきしかありません。
それは丁度、鏡を見なければ自分の姿が確認できないことと同じこと。
私を映してくれるのは仏法という鏡であります。
2016-01-02 21:05
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0