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人として生きること [掲示板法語]

人間として生きる.jpg
人間に生まれるのはむずかしい でも人として生きてゆくのはもっとむずかしい


どこで出合い書きとめておいたか失念しましたが、とても厳しい言葉と聞こえてきます。
「人間に生まれるのはむずかしい」は人間に生まれたご恩に報いる生き方をせよ、人間と生まれたことを尊べということでしょうか。

「人として生きてゆくこと」とはどういうことを仰るのでしょうか。
親鸞聖人は涅槃経の一節を紹介されています。

「二つの白法あり、よく衆生を救く。一つには慙(ざん)、二つには愧(ぎ「)なり。> 「慙」は自ら罪を作らず、「愧」は他を教えて作さしめず。「慙」は内に自ら羞恥す、「愧」は発露して人に向かう。
「慙」は人に羞ず、「愧」は天に羞ず。これを「慙愧」と名づく。
「無慙愧」は名づけて*258「人」とせず、名づけて「畜生」とす。慙愧あるがゆえに、すなわちよく父母・師長を恭敬す。
慙愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あることを説く。   (教行証文類信文類)

慚愧とは
①慚は自ら罪をつくらないこと。愧は他人に罪をつくらせないようにすること。
②慚は心に自らの罪を恥じること。愧は他人に自らの罪を告白して恥じ、そのゆるしを請うこと。
③慚は人に恥じ、愧は天に恥じること。
④慚は他人の徳を敬い、愧は自らの罪をおそれ恥じること。 (浄土真宗聖典・浄土真宗本願寺派)

慚愧という言葉に非常に深く重いお心をいただかれています。
更にその慚愧のない者、「無慚愧」は人ではない、畜生であるというのです。

「慚愧あるがゆえに、父母・兄弟・姉妹あること」
人はともすれば親であれ兄弟であれ利用し、搾取し、見捨ててしまう恐ろしい心を持っています。それは獣と変わらないということであります。

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