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ようこそようこそ・・・・50号です [正太寺]

おなじみの皆様には既にお手元に届いていることでしょう。
正太寺報 『 ようこそようこそ 』
ようこそ50号.jpg

遂にこの寺報も50号を迎えることができました。
春夏秋冬と年に四回発行して12年を超え、迎えられた50号。
編集者としては感慨深いものがあります。

十数年前、聞法会に行った先のお寺の寺報や、毎月きちんきちんと欠かさず送られてくる寺報などを見て、正太寺でもこうしたことを始めた方がいいのだろうかと思ていましたが、なかなか踏み切れずにおりました。
ある年、京都で真宗僧侶向けの研修会があり、そこで「お寺からの情報発信の重要性」といった内容の講義を受け、私はその場で寺報の発刊を思い立ち、たまたま隣に座っていた同派の若い人に「自坊の寺報を作ることにしました、第一号が出来たらあなたにも送りますから読んでみてください」と宣言していました。

さて、研修から戻っていざ寺報を作ろうと机に向かったものの、一体なにを書けばいいのだろうと見当もつきません。それでも他のお寺の寺報を参考になんとかこうとか紙面を埋めて原稿を作りあげ、コンビニのコピー機でコピーをして郵送。
皆さん読んでくれるだろうか、どんな感想を持たれただろうかと気になりましたが、一向に反応はありません。
数日過ぎても何の反響もなし・・・・。
正直、その時は複雑な気持ちでした。
こんな誰が読んでくれるかわからないものを、費用を掛けてまで出す必要があるのだろうか。
いやいや、一回二回で結果を求めてはいけない、まずは続けてみないことには。
こうした思いは1年経っても2年経っても常にありました。
報恩講やお彼岸など行事が近づいてくると、行事の準備と並行して寺報の作成が始まり、いつもバタバタです。「どうしてこんなことを始めてしまったのだろう」と後悔の念もチラつきつつ何とか欠巻することなく、内容は空っぽでもとりあえず出し続けてきました。

ようやくチラホラと寺報に書いた記事について「面白かったよ」「勉強になった」「いつも楽しみにしてます」といった声が聞かれるようになり、私はあの時止めてしまわなくてよかったと思いす。

2年前に寺報の作りかたを学ぶ通信講座を受講し、なんのための寺報なのか?誰に読んでほしい寺報なのか?寺報を発行することでどんな変化をのぞんでいるのか?等々考える機会をいただき、一から作り直すつもりで取り組んだのが紙面のカラー化とお檀家さんのお家に訪ねてゆく企画の実践です。

今、この寺報は正太寺の活動の中でも大きなウェイトを占めるようになりました。
これからも、もっともっと皆さんに響く紙面を作っていこうと考えております。


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