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けだるい私 [掲示板法語]

山門横の掲示板を更新しました。

けだるい私.jpg

私がいつもけだるいのは たのしみに倦(ものう)きたからではなく 人々と苦をともにしようとせぬからだ
和田稠(わだ しげし)


和田先生は真宗大谷派、石川県加賀市浄泉寺の住職を終えられ、2006年元旦に90歳でご往生されました。私が高田本山にお世話になっていた1990年前後、先生は毎月三重県まで歎異抄講義に来られていました。聞法を始めたばかりの私には先生の仰っていることはさっぱり分りませんでした。それでも「この方は仏教を本当に自分の腹に据えて現実社会と向き合って生きておられるのだな」と感じ、分らないまま先生の法座に通ったものでした。

先生は度々、こんにちの真宗僧侶の姿に大変厳しいことを仰っていました。
「お寺が寺族のマイホーム化してしまっておる」
先生がおられた浄泉寺には常に色々な人が訪ねてこられ、先生は「よう来たよう来た」と迎えると、念仏談義となったり世の諸問題の相談を受けたり、そのまま客人も家族も一緒に晩御飯を食べてゆくというのが日常のことで、むしろ家族だけで食事することのほうが稀なことだったそうです。

本山の様々な活動にも迎えられ意見を求められる立場でありました。でもそこで先生が問題視されたことは、「共に生きる」というスローガンの下、差別問題や靖国問題と取り組んでおるが、そこに集ってくる若い僧侶たちが高級車を乗り回している姿に「これで、共になどと言って、通じるものだろうか・・・」と嘆いていらっしゃいました。

今も当時の和田先生の講義録を読み返しますと、先生の低い声が初めはボソボソと、段々とそれが熱を帯び、両の手が机の向こう側をぐっと掴みながら、腹に響くような力強い声で語る先生の様子が甦ってきます。
今にも立ち上がらんかという厳しい表情で話している和田先生、一瞬、沈黙したかと思うと、先生はほっこりと顔をほころばせ、私たち聴聞者の顔を見渡しながらうんうんと頷いている。私はそんな時の先生の柔らかな笑顔が大好きでした。

今、日本は大きく揺らいでいる状況です。和田先生がもし生きておられたら何を語られるだろうか。



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